「ありがとう」が多い職場は、本当に健全なのか
- 5月1日
- 読了時間: 6分
更新日:1 日前
光が強いほど、影は深くなる
語られない感情は、静かに積み重なる
称賛があふれる組織で、なぜ人は疲弊していくのか
見えにくい“感情の負債”という構造
経営に関わる立場にある方であれば、一度はこのような違和感を覚えたことがあるのではないでしょうか。
職場には感謝の言葉があふれ、社内SNSには「ありがとう」の投稿が並び、サンクスカードの取り組みも活発に運用されている。それにもかかわらず、現場に目を向けると、どこか息苦しさのようなものが漂っている。
表面的にはポジティブな空気が保たれているにもかかわらず、疲弊や離職が減っているわけでもない。このねじれを、どのように理解すればよいのでしょうか。
感謝を伝えることそのものは、疑いなく重要な行為です。人と人との関係において、それが意味を持たないはずがありません。しかし問題は、「ありがとう」という言葉の存在ではなく、それがどのような文脈の中で発生しているのか、そして組織の中でどのような機能を持ってしまっているのかにあります。
ここを見誤ると、私たちは“良いことをしているはずなのに、なぜかうまくいかない”という状況に陥ります。
行動を変えることで、関係性は変わるのか
多くの企業が、これまでに「ありがとう運動」や「あいさつ運動」といった取り組みを経験してきています。行動を変えることで意識を変えるという考え方は、一定の合理性を持っていますし、無言の職場よりも挨拶が交わされる職場の方が望ましいと感じられるのは自然なことです。
しかし、その「おはようございます」が交わされる状態は、本当に組織が目指していた姿なのでしょうか。無言の状態から一歩進んだことは確かであっても、それはあくまでマイナスからゼロに近づいた状態に過ぎず、そこに内発的な関係性や信頼が芽生えているとは限りません。
同様に、「ありがとう」という行為もまた、制度として設計された瞬間にその意味合いを変えていきます。本来、感謝とは関係性の中から自然に立ち上がるものであり、強制される性質のものではありません。
しかしそれが組織的に推奨され、「良いこと」として定義された瞬間、それを行わないことは相対的に「望ましくないこと」として認識され始めます。その結果として、組織の中には「ありがとうを言うべきだ」という無言の圧力が生まれ、行為としての感謝が、内発的なものから外発的な「義務」へと静かに置き換わっていきます。
「ありがとう」という光が生み出す影
この構造の中で見落とされがちなのが、「感謝の可視化」がもたらす副作用です。サンクスカードや社内SNSの「いいね」といった仕組みは、本来、称賛や感謝を共有するためのものですが、それが可視化されることで、組織の中に新たな比較軸が生まれます。誰がどれだけ感謝されているのか、誰がどれだけ評価されているのかが、明示的ではない形で可視化されることで、個人の中に承認欲求が強く喚起されるようになります。
承認が得られることは、確かに人のモチベーションを高めます。しかし同時に、それが得られないときの不全感や孤立感もまた強く意識されるようになります。感謝があふれる環境においては、「感謝されないこと」が以前よりも強い意味を持ってしまうのです。結果として、「ありがとう」が増えれば増えるほど、「ありがとうをもらえない自分」が際立ち、「いいね」が増えれば増えるほど、「評価されていない自分」が意識されるようになります。
ここで起きているのは、ポジティブな文化の裏側で進行する、静かな分断です。光が強くなればなるほど影が濃くなるように、称賛が強調されればされるほど、その陰にある感情は行き場を失っていきます。
特に問題となるのは、ネガティブな感情が語られにくくなる点です。つらかったことや大変だったこと、不満や違和感といった感情は、「ポジティブであるべき空間」の中では表出しにくくなり、その結果として個人の内側に蓄積されていきます。この蓄積はやがて、組織全体に広がる“感情の負債”として存在し続けることになります。
カスタマーサポートという現場が抱える二重構造
この問題は、カスタマーサポートのような顧客接点を担う組織において、より鮮明に現れます。日々の応対の中で、オペレーターは顧客からの感謝と不満の双方にさらされており、その振れ幅の大きさの中で感情的な負荷を受け続けています。ある瞬間には心からの「ありがとう」を受け取りながら、別の瞬間には理不尽な要求や厳しい言葉に直面する。その両極を行き来する環境において、感情は確実に消耗していきます。
このような状況に対して、「ありがとう」を増やすというアプローチは、必ずしも本質的な解決にはなりません。むしろ必要なのは、ネガティブな感情を適切に吐き出し、それを受け止めることができる環境の整備です。つらかった経験を共有し、それが個人の問題として処理されるのではなく、組織として引き受けられる構造が存在しているかどうか。そこにこそ、持続可能な組織かどうかを分ける分岐点があります。
これからのマネジメントが向き合うべきもの
このように見ていくと、従来のマネジメントが前提としてきた考え方だけでは、現在の組織を捉えきれなくなっていることが見えてきます。主体性を引き出す、ポジティブな文化をつくる、リーダーシップを強化する。これらはいずれも重要であり続けていますが、それだけでは扱いきれない領域が広がっているのも事実です。
これからのマネジメントに求められるのは、感情の揺らぎを前提とした組織設計です。ネガティブな感情を排除するのではなく、それが存在することを前提とし、それをどう扱うかを考えること。個人の内面に過度に踏み込むことなく、それでいて放置もしない。そのバランスの中で、組織として感情を受け止める構造をつくることが求められます。
さらに言えば、マネジメント層自身もまた、その構造の中で消耗しています。だからこそ、これまでの「リーダーシップ論」や「主体性開発」といった枠組みとは異なる、新たなコミュニケーションのあり方や、自らを守るための視座が必要になってきています。
経営としての問い
いま、自社の組織における「ありがとう」は、どのように生まれているのでしょうか。それは関係性の中から自然に立ち上がったものなのでしょうか。それとも、維持されるべき行動として制度の中に組み込まれているものなのでしょうか。
その職場には、つらかったことや大変だったことを、安心して語ることのできる場が存在しているでしょうか。「ありがとう」があふれているその裏側で、語られていない感情はないでしょうか。
感謝を増やすことと、組織が健全であることは、本当に同義なのでしょうか。
この命題に対する経営としての答えは、すでに見つかっているでしょうか。
もしまだその答えが明確ではないのであれば、それは文化の問題ではなく、「組織の感情をどう扱うか」というマネジメントの問題なのかもしれません。その問いにどのように向き合っていくのか。そこから先の組織のあり方が、いま問われているのではないでしょうか。



